「あなたの目の前で男性に百万円をあげますが、あなたが私に百円を渡せばあげるのをやめます」
さぁ、あなたはどうしますか?
かつてこのような社会実験があった
前者は自分が損をするわけでもなく他人が幸せを得る
後者は誰も得をしないが自分だけが損をする
この実験の結果は半数以上が後者を選ぶらしい
特に日本人にはその傾向が強く出るとのことだ
日本人である私も例外なく100円を渡す
迷わずに渡す
↑以上が自己紹介となります
以後お見知り置きを
配信や投稿で動画の活動をしてる私はよくこの場面に出くわす
「初配信前に登録者が1000人行きました!」
「先日の動画がバズって10万再生されました!」
もし神が現れて冒頭のようなことがあった場合私はきっと迷わないと思う
言い方を変えるとそれだけ自信があったし、他の人に負けるわけがないと胸を誇れる話術を持っている自負があった
羨ましくないといえば嘘になる
Twitter等では
「登録者なんて気にしてません。むしろゼロ人が目標です」
と言ってはいるが果たしてこれは素直な気持ちなのかと自分に問いかけることが多々ある
口が達者なもう一人の自分が心の中で自分を捲し立てるのだ
その葛藤から逃げるために私は神を呼び、硬貨を一枚心の中に投げ入れる
その成功を収めた活動者を見たくない一心で「ミュート」というボタンを押す、そんな自分が情けなくて好きなのだ
もしかしたら違う世界線では「ぷぷぷぃ%」が大手実況者、有名配信者になっていた未来があったのかもしれない
しかしそれを邪魔しているのもまた100円を握りしめた自分なのだとこの数年間の活動で気付いた
友人に言われたことがある「お前は逃げ癖がある」の言葉は言い換えると「逃げなければ戦えるのに」という彼なりのエールだったんだろう
彼は成功していく他人を見る人なのだ
そして自分が壁を乗り越える出来事があったときに傍観をしていて欲しい人なのだ
「数日かけて努力して作った動画が評価されなくてもいい」「俺を好きな人が見てくれれば再生回数は1でいい」だなんて口が達者な自分の中の自分から出た嘘でしかない
きっとこのブログも同じだ
Twitterでは強気な自分が「個人のブログなので別に見なくてもいいですよ!」
なんて呟くに決まってる
しかし本音はみんなに見て欲しいしもっと自分のことを知って欲しいと震えている自分が今このブログを書いている
まさに「口は嘘をついていても体は正直だな」状態なのだ