「ボクには人を殺す権利がある」
突然私がそう言ったらどうだろうか?
ただの虚言なのか
空想話だろうか
変人として処理されるのだろうか
この権利は私だけにあるものではなく、今この文章を読んでる人にもあるとしたら、、、
そして物騒な単語のマイナスイメージで始まったこのブログをプラスに変えることは出来るのだろうか
世界一短い伏線回収が終わったところで本編へと参ります
↓本編
「実におもしろい」
テレビで聞いたことのあるこのセリフ
人生というものは数式に置き換えることが出来るのではないか?というのが私の持論である
-(マイナス)×ー(マイナス)=+(プラス)
小学校で習うこの数式はたびたび大人になってからでも使われる
学生が言う
「こんなこと勉強して社会で使われるんですか?」
などという屁理屈はあくまで未熟な人の考えなのだと大人になった今、経験則として言い切ることが出来る
例えばの話
今貴重な時間を割いてこの文を見てくれているあなたに私が今から悪口を言う
「○○○○!!」「どうせお前は○○○!!」
すいません、あまりに見ていられない言葉が出たのでこちらで処理しました
特殊な人を除いては悲しい気持ちになるだろう
当然感情はマイナス方向へと働く
しかし、あなたを嫌いな誰かがそれを見ていたとしよう
その人にとってはどうだろうか
自分が嫌いな人への悪口を自分の手を汚さずに他人が代弁してくれてるのだ
不謹慎ではあるが一番近い日本語で言うなら「幸せ」な気持ちにならないだろうか
「悪口を言う」マイナスと「あなたを嫌いな誰か」というマイナスは一転して誰かの幸せを作ってしまう、ということだ
人の幸せとは他の誰かの涙で育てられた花なのかもしれない
他にもマイナス×マイナスが成り立つ状況がある
もし仮に私が無実なのに不倫や浮気を疑われたとしよう
その証明ができずに罪を請け負ってしまった場合恋人や配偶者と別れたり最悪の場合裁判所まで持ち込むケースだってある
そのとき私は無実であるにもかかわらず不倫や浮気に対する償いをしなければならない
本来であれば不貞行為をして罪を償った場合、その快楽と対価の償いをするべきなのだが今回の無実のケースでは快楽を得られないまま償うことになる
言うならば快楽分の損をしているのである
本当に不貞行為を行っていた場合と無実の場合では快楽を得ようが得るまいが償うものは同じなのだ
そのとき無実の人は不貞行為をしてもしなくても同等に償わなければいけないという結果は同じなのだから
「何らかの形で快楽を得る権利を得た」と言い換えることは出来ないだろうか
不貞行為というマイナスを損しているのだから
不貞行為をする権利というプラスを=の左側に置くことには何ら問題はないだろう
ではここでこのブログの最初に戻る
「ボクには人を殺す権利がある」
この権利は本当に得るものではないが、嘘だと切り捨てるには少々暴力的に見えるのは私だけだろうか
昨年安倍晋三元総理が暗殺をされたのだが、その行為自体はマイナスであっても誰かの幸せを運ぶ青い鳥だったような気がしてならない
ここらへんで今回の話を終わりたいのだが冒頭の
「このブログをプラスに変えることは出来るのだろうか」
という言葉に対して私は誰かが幸せになれるブログを書けたという自信がない
つまり、このブログ分私は誰かを不幸にしてしまったという損を背負ってしまったのである
この損を補うための権利を私は何か知らずのうちに得たのかもしれない